母が食べられなくなったあの頃、
「このまま食べられない日が続いたらどうなるんだろう」と、
胸がざわざわする毎日でした。
誰にも気軽に聞けないし、
答えをくれる人もいない。
ただ、母の口が開かない。ひと口も食べない。
それが続く日々でした。
🌿 私のほんとうの気持ち
「なんとかもう一度、母と一緒に食べたい」
「食べれなくなるのが寿命なら仕方ない。でも、病気で食べられないのはイヤだ」
そんな思いがぐるぐる回っていました。
周りの人はみんな優しかったけど、
深刻な時期だからこそ、
誰も軽く “大丈夫だよ” とは言えない。
その空気も、私には痛いほど伝わっていました。
🌸 思いついたのが「木曽路に行こう」だった
無謀かもしれない。
でも、母と「また外食したい」という気持ちにすがるように、
木曽路へ行きました。
結果は…
食べられなかった。
でもね、
ホタテをちょっと舐めたの。
ほんのちょっと口が開いたの。
その瞬間を私は忘れません。
帰り道は、
「もう無理なのかな」と涙が出て止まらなくて。
だけど、どこかで心がまだ言っていました。
「あの食いしん坊の母が、“病気だから” 食べないなんて……違うと思う。」
あの日は、
私の覚悟と希望がぶつかった日でした。
🌟 そして今年も——しゃぶしゃぶを食べに行けた
今年。
お茶ゼリーを持って、また木曽路へ行きました。
母は、
しゃぶしゃぶの柔らかいお肉をちょっとずつ、
ゆっくりゆっくり食べてくれました。
しかも、デザートのモンブランまで!
あの時、「もう無理かもしれない」と泣いた私が見たら、
信じられない光景だったと思います。
奇跡なんて言葉は軽いけど、
でもこれは、
私と母の “ゆっくり取り戻した時間” の証拠です。
💛 危険とも隣り合わせだった時期がある
食べることは、
嚥下障害のある人には本当に危ない瞬間があります。
無理に食べさせたらダメ。
強引は絶対にダメ。
でも、母には幸い、
しっかりむせる力があった。
だから、「むせて、吸って、整えて、また一口」というやり方ができた。
今も、私は吸引チューブを片手に
母はそれに合わせて喉を動かす。
お互い、すごく上手になったね。
🍲 外食を諦めなくてよかった
今年も木曽路の席で母の横顔を見ながら思いました。
「諦めないでよかった」
そして
「食べるって、ただの栄養じゃない。人生そのものだな」
たとえ1年に1回でも、
母が好きだったお店に行けるなら、それで十分。
これからも、
一緒にできる範囲で、
ゆっくりゆっくり外の空気を吸って
おいしいものを少しずつ味わっていきたい。
💭 おわりに
この話は、あの頃の私みたいに
「食べない時期」を抱えて悩んでいる誰かの
ほんの小さな灯になればいいな。
答えはひとつじゃないし、
無理は絶対だめ。
でも、
“その人に合ったひと口” は必ずある
と今の私は思っています。
母とゆっくり見つけてきたように。


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