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食べられなかった日から、食べられる今へ

📅 日付: 2026年4月24日 食べられなかった日から、食べられる今 母が食べられなくなったのは、 突然のようで、でもきっと少しずつだったのだと思う。 最初は、よだれが増えた。 気づけば、口の左から食べ物がこぼれるようになり、 モグモグはするのに、飲み込めない。 やがて、食べること自体が難しくなり、 点滴だけになった。 食べられなかった日々の中で、 ゼリーを口にしたあの日が、すべての始まりでした。 ⸻ それから私は、 「なぜ食べられたのか」を考え続けた。 どれくらい食べるのが普通なのか、 なぜ急に食べられなくなるのか、 どうすればいいのか。 ⸻ 今なら、少しだけわかることがある。 母は「吸う力」が弱かった。 だから、栄養ドリンクやアイスクリームのように “吸うこと”が必要なものは合っていなかった。 口の中でまとめる力も弱くなっていたから、 バラバラになるものは飲み込めなかった。 ⸻ でも、ゼリーは違った。 まとまっていて、 ゆっくり流れて、 吸わなくてもいい。 だから食べられた。 ⸻ それからは、 スプーン一杯の量、 ゼリーの硬さ、 姿勢、 タイミング、 ひとつひとつを見ながら、 “食べやすい形”を探していった。 ⸻ 吸えないと届かない奥のものは、 ゼリーで流す。 食べることで、むせて出せることもある。 喉にたまったものが動くこともありました。 ここが、分からなかったところでした。 話せない母からは伝えてもらうこともできず、 このまま食べられなくなるかもしれない、 そう感じていました。 在宅での吸引の時は、「あー」と声を出して、 振動で奥行きを感じながら、 どこまで届くかを確かめる。 どこに残りがあるのか分からなければ、「わからん!」と二人で笑いあう。 そんな毎日。 ⸻ 最初の頃は、寝ている時も喉が鳴って、 息もしづらそうだった。 今は、ぐースカと、いびきをかいて眠っている。 手をぎゅっと握りしめていたのも、 少しずつゆるくなった。 採血は「100点」と言われ、 褥瘡も肺炎も一度もない。 ⸻ 私たちは決めている。 最後まで何かしら食べる。 食べられなくなったら、それでいい。 ⸻ これは「正解」の話ではない。 ただ、あの時、 答えがなくて、泣きながら探していた私に、 「こういう見方もあるよ」と そっと置いてあげられるものになればと思う。 ⸻ 私はこれからも...

経過|16🌿 体の変化と、怖さが消えた日 2026.2.16

📅 日付: 2026年2月16日 ― 痰・姿勢・そして納得 ― 何で食べられなくなったのか、ずっとわからなかった。 脳梗塞も脳出血も乗り越えてきた。 胆嚢炎の手術も乗り越えた。 入院も、リハビリも、通院も。 刻み食も、おかゆも、工夫もしていた。 それなのに、急に口をつぐんだ。 検査は異常なし。 「老衰かもしれない」 「認知症の症状かもしれない」 どれもしっくりこなかった。 私はずっと一番近くにいたのに、 何を見落としていたんだろう、と。 痰という存在 よだれが増えた。 時々、くしゃみと一緒に痰が出ていた。 でも、たくさん食べていたから、 嚥下に関係しているなんて思っていなかった。 喉の奥に溜まっていた。 白くて、トロッとした塊。 私はそれを「親玉」と呼んでいる。 それが出ると、 母はすっきりした顔になる。 声が出ない理由 最近、歌を歌わなくなった。 言葉も少なくなった。 でも、痰が取れたときは 「あー」と大きな声が出る。 六甲おろしの最後は、 今も歌おうとする。 物理的に、喉がふさがっている。 それが腑に落ちた。 ねじれと姿勢 座ると左に傾く。 骨盤が左に落ちる。 頭も左へ。 左に入った食べ物は、飲み込みにくい。 今朝、 左のお尻の下にタオルを4つ折りで入れた。 すると、 左肩が上がった。 見た目も違った。 ああ、そうか。 押し戻すんじゃない。 支えるだけでいい。 治すことではなく これは「治す」問題じゃない。 年齢と、脳のダメージと、体の変化。 誰にでも起きる変化。 だから今は、怖くない。 むせるときはむせる。 吸引すると「ゴォー」と出る。 それを聞いていて2人ですごいねーと笑う。 しっかりうんちも出る。 大きなあくびもする。 生きている。 私が怖かった理由 わからなかったから。 近くにいたのに理解できなかったことが、 一番つらかった。 でも今はわかる。 喉の奥に溜まる。 ねじれがある。 姿勢が関係する。 そしてそれに、 気がついた。 今日の結論 母は弱くなったんじゃない。 省エネし...