これは、介護をしている最中には分からず、
何年も経ってから、ようやく腑に落ちた話です。
母は、長い間よだれが多く、
スタイ(よだれ掛け)が必需品でした。
今思えば、その頃から
唾液をうまく飲み込めていなかったのだと思います。
ただ、行き場のない唾液が、前に溢れていただけでした。
食べられなくなる少し前、
あれほど垂れていたよだれが、逆に出なくなりました。
良くなったのだと思っていました。
でも実際は、
外に出ていたものが、喉の奥に溜まるようになっていただけでした。
喉に溜まると、体は教えてくれる
喉に唾液や痰が溜まると、
母は目を閉じるようになりました。
声も出にくくなり、
だんだん話さなくなり、
好きだった歌も歌わなくなりました。
それは「意欲がなくなった」のではなく、
声を出すこと自体が、しんどくなっていたのだと思います。
やがて、吸引が必要になりました。
「あーって言って〜」は、合図
吸引のとき、私は
「あーって言って〜」と声をかけます。
すると、
ゴロゴロ、ガラガラという音が聞こえることがあります。
その音で、
「あ、まだ喉に溜まっているな」と分かります。
吸引して、
喉の奥に引っかかっていた
トロッとした白い痰が取れると、
それまで出なかった声が、
ふっと出ることがあります。
音が消えて、
声が出ると、
「あ、今は楽なんだな」と分かります。
安心すると、食べられるようになる
母は、「取ってもらえる」ことが分かってから、
安心したのだと思います。
自分から口を開けて、
「取って」というような仕草もします。
今は、
食前・食事の途中・食後と
吸引を挟みながら、しっかり食べています。
喉に溜まっても、
苦しくなっても、
ちゃんと取ってもらえる。
その安心があるからこそ、
少し食べにくいものにも、
思い切って手を伸ばせるのだと思います。
よだれが減った=良くなった、ではなかった
よだれが出なくなったとき、
私は「少し楽になったのかな」と思いました。
でも今なら分かります。
それは改善ではなく、
変化のサインでした。
- 垂れる時代
- 溜まる時代
嚥下の問題は、
形を変えながら続いていたのだと思います。
食べることは、安心と一緒にある
吸引は、
「かわいそうな処置」ではありません。
母にとっては、
食べるための準備であり、支えです。
取ってもらえる。
苦しくなったら助けてもらえる。
その安心があるから、
今日も母は食べています。

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