姉の家の近くで、
一人暮らしをしている父のことを、
ふと思い浮かべることがあります。
特別なことをしているわけではありません。
でも、その日常を思うと、
応援しているような気持ちになります。
一人で起きて、
一人で食べて、
一人で過ごす。
それだけで、もう十分に頑張っているのだと思います。
最近は、
近所に飲みに行って、帰り道がわからなくなった、
そんな話も出てきました。
身体は元気なのだけれど、
少しずつ変化もあるのだと思います。
そんな姿を思うと、
ふと、母のことが重なります。
人にお世話になることへの礼儀や、
少しの忍耐も、日々の中にあるのだと思います。
にこっとしたあと、
ふっと知らん顔をするような、
そんな一面も含めて🤭
今は一緒にいるけれど、
きっと以前は、同じように
一人で日々を過ごしていた時間があったのだと思います。
その頃のことを、
私はどれくらい分かっていたのだろうと思います。
今こうしている中で、
少しずつ見えるものが変わってきました。
できることよりも、
続けていることの大切さに気づくようになりました。
何気ない毎日を過ごしていること。
それ自体が、すごいことなのだと思います。
振り返ってみると、
もう20年ほど前、治療所で働いていた頃、
開院記念日に少し変わったことをしていました。
その日来てくださった方に、
一輪の花束をお渡しするのと一緒に、
院内の天井を飾っていたんです。
たとえば──
魚の紙風船を100個、天井から吊るしたり
風車を100本、カーテンレールに取り付けて
扇風機の風で、からから回るようにしたり
だっこちゃん人形や、モビールを吊るしたり
少し不思議で、でも楽しい空間でした。
ガラス越しに外からも見えるので、
通りがかりの方が足を止めて、
新しく来てくださることもありました。
そして、1ヶ月ほど飾ったあと
「よかったらどうぞ」とお渡しすると、
高齢の方が
「孫にあげるんだ」と
嬉しそうに持って帰られていました。
あの頃は、ただ「楽しいかな」と思ってやっていました。
でも今になって気づきました。
見えないものを、見える形にすること。
ちょっとした工夫で、伝わり方が変わること。
それが、私は好きだったんだと思います。
今は、嚥下食のブログやインスタで
ゼリーの動きや違いを見える形にしていますが、
やっていることは、あの頃とあまり変わっていません。
場所が変わっただけで、
同じことを続けているんだなと感じています。

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